509回 (2014.7.12

謡曲「一遍上人」と善光寺如来出現譚

三 好 恭 治

 

謡曲 一遍上人

 

 わき次第「風にまかする浮き雲は。く 行衛いづく成らむ 詞「是は念仏の行者一遍と申聖にて候。我此度思ひ立西国行脚と心ざし候 上「いづくにも 往ははつべき雲水の。く 身は果しらぬ旅の空。月日程なくうつりきて。爰ぞ名にあふ津の国や。難波の浦に着にけり く 詞「急候程に。是ははや難波の浦に着て候。又是によし有

げなる御池に候。此池のほとりの御堂に休らひ。夜もすがら念仏を申さばやと思ひ候

 

して「いかに御僧。御身はいづくより来り給ひて候ぞ わき「是は此所はじめて一見の者にて候が。日も暮て候程に此御堂にやすらひて候。又是なる池は名池にて候か 

して「是はあみだが池と申て。信濃の国善光寺以来の。此池よりあがらせ給ひし所なり

 わき「扨は善光寺の如来此所よりあがらせ給ふかや。それに付ても其はじめ。くはしく語て御聞せ候へ

 

して(クリ)「昔本多よしみつ此所を通り給ひしに 同「此は夜半計(ばかり)。此御(おん)池の内。光明かくやくとして光さす 

してさしこゑ「よしみつあやしみて寄て見れば 同「実も如来の御姿有。 是はふしぎの御事とて。よしみついだき奉り。其後善光寺へぞ 移し奉りける (クセ)下「よしみつ思ふ様。今末の世と申せども。か様に正しき如来の。我に拝まれ給ふ 御事。ひとへに 弥陀の悲願とて。日夜朝暮におこたらず。此御(み)仏に向ひつゝ。諸願をかけて念じける して上「思ふ事 いはでの森の下つゝじ 詞「かなはざる事なかりせば。よき光ぞとあほぎつゝ。間なく 時なく拝すれば。今にたえせぬ御影かな

 

 「有難やかゝる時節にめぐりきて。難波の浦の弥陀の池。今拝む事のふしぎさよ。先此度は帰りつゝ。重ねて参りおがまんとて。僧は御堂を出ければ。姥ははるかに見送りて。又も来り有ならば。こととはせおはしませと。念比に申つゝ。また立別れ帰りけり く  

 

【解説】

 

一、       はじめに

 

一遍会例会(平成二六年七月度)の卓話で披露した「謡曲 一遍上人」は、論者が平成一八年(2006)に「幻の謡曲」として発表した。きっかけは平成一八年に成田山仏教図書館で「謡曲 一遍上人」の存在を確認し、同図書館司書から原文の複写を入手した。「あらすじ」は次の通りである。

 

西国行脚中の一遍上人が津の国(摂津国)難波の浦に着き、阿弥陀が池の畔の御堂で休み、夜もすがら念仏を申そうとする。姥が一遍上人に話しかけ、信濃の善光寺の如来がこの池より上がり、本多善光が信濃へ移した因縁を語る。感激した一遍上人は重ねてお参りすることを約して御堂を去る。

 

平成二一年に「長野郷土史研究会」機関誌『長野』(第二六六号)に小山丈夫氏(いいづな歴史ふれあい館学芸員)が「謡曲『一遍上人』にみえる善光寺如来出現譚」として論文を発表され、県下の地方史研究者や善光寺関係者に謡曲の存在が知られるようになった。

 

二、一遍聖の善光寺参篭

 

 一遍聖は聖戒著『一遍聖絵』(六条縁起)によれば二回参詣している。

○文永八年(1271)の春、善光寺に参詣。最初の安心(悟り)を得る。

「『いま宿縁あさからざるにより、たまたまあひたてまつる事を得たり』とて、参篭日数をかさねて下向したまへり。」

善光寺の本尊は阿弥陀如来とされ秘仏であるが、一遍は夢の中で直接「善光寺如来」を拝し、「二河白道」を書写し、伊予に帰国し窪寺に閑室を設け、念仏三昧入る。

○弘安二年(1279)秋参篭、翌弘安三年奥州に出立する。

「同年八月に、因幡堂をいでて、善光寺へおもむき給ふ。道の間の日数、自然に四十八日なり。其の年、信濃の国佐久郡伴野の市庭の在家にして、歳末の別時のとき、紫雲はじめてたち侍りけり。

「弘安三年(1280)、善光寺より奥州へおもむき給ふに(後略)」

 

三、一遍・遊行上人に因む謡曲

 

○謡曲  誓願寺(伝 世阿弥 作) 

正平一八年/貞治二年(1363)〜嘉吉三年(1443)頃)

一遍上人が熊野参籠で霊夢を蒙り、「六十万人決定往生」の札を弘めようと誓願寺に至る。そこへ女が現れ、札の意味を尋ねて称名念仏を讃嘆し、寺額を「南無阿弥陀仏」の六字名号と掛け替えるように頼み、自分は和泉式部の霊と告げて石塔に消える。

上人が額を掛けると奇瑞が現れ、念仏を唱えると和泉式部(歌舞の菩薩)が登場し、極楽世界となった誓願寺を称えて、寺の謂れを語る。そして式部の霊が舞を舞うと、菩薩聖衆も六字名号の額を礼拝するのだった。

 

○謡曲  遊行柳 (観世小次郎信光 作) 永享七年(1435)または宝徳二年(1450)〜永正一三年(1516))

 諸国遊行の上人が一遍上人の教えを広めようと奥州へ向かう。白河の関を越えた所で老人に呼び止められ、老人は古道にある名木の柳に案内するが、上人の十念を受けると、古塚に身を寄せる様に消える。不思議に思い上人が念仏を唱えてまどろんでいると、柳の精が白髪の老人の姿で現れ、草木まで成仏できる念仏の功徳を讃え、柳の故事を語り、報謝の舞を見せて消え失せる。

(注)「あらすじ」は『新潮日本古典集成 謡曲集』から引用した。

 

四、おわりに

 

 今回、「謡曲 一遍上人」を例会で披露して、文学・芸術の持つ永遠の生命力を実感しました。現代人の記憶になかったこの「謡曲 一遍上人」を一遍生誕の地・道後・宝厳寺で上演(奉納)して全国発信できないものかと考えている。あわせて、同じく幻の歌舞伎「一へん上人記 京道場遊行念仏」(江戸中期)(『愛媛県史』資料編 文学)、『一遍会報』三一一号にて紹介)の上演の可能性も探ってみたい。